次回復元制作予告!道訓前遺跡
2014年02月14日
神戸縄文土器クラブです。
今日はまれにみる大雪で、朝から大変でした。
さて、今日は表題の通り次回制作予定の土器をご紹介したいと思います。


今回インスピレーションを受けた「2000発掘された日本列島」という文化庁監修の本です。毎年発刊されてるようなのですが、2000年版に載っているこの土器に惹かれました。

この土器たちの中から、どれか復元制作します。お楽しみに!!
この土器が出土した遺跡がこちら
道訓前遺跡【群馬県渋川市】(どうくんまえいせき)

道訓前遺跡は赤城山麓の緩やかに南西に伸びる台地(標高320~330m)に立地しています。
発掘調査は旧北橘村教育委員会が平成8・9年度に行い、本遺跡が縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落であることが判明しました。調査面積は約3,400平方メートルで、全体の4分の1に相当し環状集落の南西部分にあたります。縄文時代中期中葉から後葉の竪穴住居跡40軒、土こう264基を検出しました。
群馬県は関東平野と中部山岳地帯との中間部にあり、原始より平野部からの人々や山脈を越えた人々との交流が見られる地域です。
(国指定重要文化財)
道訓前遺跡からの出土遺物は縄文時代中期で、新潟県や長野県、南関東、北関東周辺地域との文化交流の様子や、赤城山麓に芽生えた地域文化の特色を示す土器群と共伴する石器群です。
石器類は、使用して磨耗の目立つ打製石斧や磨石が多く、三脚を削りだす特異な形状の石皿や石棒、けつ状耳飾※1、砥石などがあります。
特に本遺跡の特徴として、この地域独特の文様を付した「焼町土器(やけまちどき)※2」があります。この土器は群馬県西部から長野県東部にかけて比較的限定された地域に見られます。さらに、赤城山麓を中心に分布し、この地域の個性豊かな土器として知られる「三原田式土器※3」も出土しています。三原田式土器は、南関東からの「加曽利E1式土器※4」へ変容、吸収され、「加曽利E2式土器」の時期にこの遺跡は終焉を迎えます。
本遺跡出土遺物は、赤城山麓一帯で縄文時代中期に地域に根ざした地方独自の生活・文化が営まれていたことを示す貴重な遺物です。(渋川市HPより抜粋)
今日はまれにみる大雪で、朝から大変でした。
さて、今日は表題の通り次回制作予定の土器をご紹介したいと思います。


今回インスピレーションを受けた「2000発掘された日本列島」という文化庁監修の本です。毎年発刊されてるようなのですが、2000年版に載っているこの土器に惹かれました。

この土器たちの中から、どれか復元制作します。お楽しみに!!
この土器が出土した遺跡がこちら
道訓前遺跡【群馬県渋川市】(どうくんまえいせき)

道訓前遺跡は赤城山麓の緩やかに南西に伸びる台地(標高320~330m)に立地しています。
発掘調査は旧北橘村教育委員会が平成8・9年度に行い、本遺跡が縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落であることが判明しました。調査面積は約3,400平方メートルで、全体の4分の1に相当し環状集落の南西部分にあたります。縄文時代中期中葉から後葉の竪穴住居跡40軒、土こう264基を検出しました。
群馬県は関東平野と中部山岳地帯との中間部にあり、原始より平野部からの人々や山脈を越えた人々との交流が見られる地域です。

道訓前遺跡からの出土遺物は縄文時代中期で、新潟県や長野県、南関東、北関東周辺地域との文化交流の様子や、赤城山麓に芽生えた地域文化の特色を示す土器群と共伴する石器群です。
石器類は、使用して磨耗の目立つ打製石斧や磨石が多く、三脚を削りだす特異な形状の石皿や石棒、けつ状耳飾※1、砥石などがあります。
特に本遺跡の特徴として、この地域独特の文様を付した「焼町土器(やけまちどき)※2」があります。この土器は群馬県西部から長野県東部にかけて比較的限定された地域に見られます。さらに、赤城山麓を中心に分布し、この地域の個性豊かな土器として知られる「三原田式土器※3」も出土しています。三原田式土器は、南関東からの「加曽利E1式土器※4」へ変容、吸収され、「加曽利E2式土器」の時期にこの遺跡は終焉を迎えます。
本遺跡出土遺物は、赤城山麓一帯で縄文時代中期に地域に根ざした地方独自の生活・文化が営まれていたことを示す貴重な遺物です。(渋川市HPより抜粋)
Posted by 神戸縄文土器クラブ at 20:30│Comments(0)
│制作中土器
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