長野県富士見町井戸尻遺跡出土 装飾つき甕

2012年07月21日

神戸縄文土器クラブです。
今日は制作中の土器のご紹介をしたいと思います。
現在作っているのは表題のとおり「富士見町井戸尻遺跡」から出土した
「装飾つきの甕」を手本に制作しました。

長野県富士見町井戸尻遺跡出土 装飾つき甕
土器の頭頂部(上部)に当たる「装飾」部分を先に制作します。
長野県富士見町井戸尻遺跡出土 装飾つき甕
続いては装飾部分である上部が大きく重量があるので下部の強化に苦労しました。
その力作がこちらです。

いよいよ上部と下部が合体です!!
長野県富士見町井戸尻遺跡出土 装飾つき甕
 何故この時期だけこの様な複雑で大変込みいつた紋様の土器が制作されたのでしょう?先回お知らせした、縄文時代1万3千年の中で気候や食糧の調達が一番よく安定した時期と言われています、結果この様な込みいつた火焔型土器が制作されたのでしょうか、余裕の為せる業でしょうか?





【長野県富士見町井戸尻遺跡考古学館】

長野県富士見町井戸尻遺跡出土 装飾つき甕
日本列島のほぼ中央に位置する八ケ岳の裾野には、中小の河川が放射状に流れ、帯状の台地や尾根をつくっている。このような地形は、ちょうど、手の甲に八ケ岳をおいてみた状態にしばしばたとえられる。広大な裾野は、立場川を境にして西北側を西麓、南東側を南麓と呼び分けている。

 遺跡は、海抜800~1000mのこうした尾根や台地上にあり、縄文時代、とりわけ中期の遺跡が数多い。とくに遺跡が密集しているのは、立場川から東へ二つ目の母沢から、東の鹿ノ沢までのおよそ2.5㎞の範囲で、井戸尻・曽利・藤内・九兵衛尾根・居平・唐渡宮・向原など、名だたる遺跡が集中し、「井戸尻遺跡群」を形成している。

 またここは、八ケ岳山麓遺跡群のなかでも中核を成す一帯である。名の由来となった井戸尻遺跡は、JR信濃境駅から約1.2㎞ほど南に下ったところにあり、沢を挟んで西に曽利遺跡の尾根が並行している。このあたりからの眺めは絶景で、甲斐駒や鳳凰の山脈が前方を遮り、その遥か南東に富士山が端座している、風光明媚な場所である。

 遺跡は、昭和41年に国の史跡に指定され、住居を復元するなど史跡公園として整備された。遺跡の東には、いにしえからの湧水があり、その豊富な水を利用して、水生・湿生の植物園が作られた。周囲の景観も含め、「縄文の泉」公園として訪れる人々の憩いの場となっている。また昭和50年、曽利遺跡の第4号住居址から出土した7点の一括土器が、縄文時代の遺物として、県宝に指定されている。
※同考古学館HPより抜粋





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Posted by 神戸縄文土器クラブ at 09:30│Comments(0)制作中土器
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