馬高・三十稲場遺跡出土「馬高蔓草文様土器」
2013年12月13日
神戸縄文土器クラブです。
現在制作中の土器のご紹介です。
久しぶりのご紹介ですが、今回は新潟県は長岡市科学博物館所蔵の「馬高蔓草文様土器」にチャレンジです。同市の「馬高・三十稲場遺跡」より出土した縄文中期の土器です。

自宅に在る秘蔵図書から見つけた「縄文土器の文様の意味や精神」について書かれた書物で、中でもフィーリングがぴったり合ったものを今回も選びました。
そして新たな試作版ミニチュア縄文土器をつくってみました。同じく馬高蔓草文様土器ですがかわいらしく仕上がってきています。

背景の金髪の外国人はカントリー歌手では大御所のウィリー・ネルソン氏です。彼の曲を聴きながら制作に励んでいます。
【馬高・三十稲場遺跡】

馬高遺跡・三十稲場遺跡は、明治時代から土器や石器が採取される場所でした。なかでも関原町の近藤勘太郎、勘治郎、篤三郎の3代の親子は遺物の採集家として名が知れていました。この遺跡は勘治郎、篤三郎の2人により発掘調査が行われ、昭和11(1936)年には馬高遺跡において火焔型土器の名称の元となる「火焔土器」や大型土偶なども出土し、その研究成果が中央の雑誌などに紹介されると大きな注目を浴びるようになりました。
近藤親子以後もオランダの考古学者ジェラード・グロート(Gerard J. Groot)や早稲田大学を始めとして、多くの人々がかかわってきました。昭和40年代以降に開発などにより長岡市教育委員会の調査が行われるようになると、徐々に集落の巨大さが解明され、良好な遺物の検出などもあり、昭和54年に「馬高・三十稲場遺跡」として国指定史跡となりました。また、中村孝三郎により再復元された「火焔土器」はその他の遺物とともに平成2年に国重要文化財に指定されました。
長岡市立科学博物館
〒940-2035
新潟県長岡市関原町1-3060-1
TEL:0258-46-0601
現在制作中の土器のご紹介です。
久しぶりのご紹介ですが、今回は新潟県は長岡市科学博物館所蔵の「馬高蔓草文様土器」にチャレンジです。同市の「馬高・三十稲場遺跡」より出土した縄文中期の土器です。

自宅に在る秘蔵図書から見つけた「縄文土器の文様の意味や精神」について書かれた書物で、中でもフィーリングがぴったり合ったものを今回も選びました。
そして新たな試作版ミニチュア縄文土器をつくってみました。同じく馬高蔓草文様土器ですがかわいらしく仕上がってきています。

背景の金髪の外国人はカントリー歌手では大御所のウィリー・ネルソン氏です。彼の曲を聴きながら制作に励んでいます。
【馬高・三十稲場遺跡】

馬高遺跡・三十稲場遺跡は、明治時代から土器や石器が採取される場所でした。なかでも関原町の近藤勘太郎、勘治郎、篤三郎の3代の親子は遺物の採集家として名が知れていました。この遺跡は勘治郎、篤三郎の2人により発掘調査が行われ、昭和11(1936)年には馬高遺跡において火焔型土器の名称の元となる「火焔土器」や大型土偶なども出土し、その研究成果が中央の雑誌などに紹介されると大きな注目を浴びるようになりました。
近藤親子以後もオランダの考古学者ジェラード・グロート(Gerard J. Groot)や早稲田大学を始めとして、多くの人々がかかわってきました。昭和40年代以降に開発などにより長岡市教育委員会の調査が行われるようになると、徐々に集落の巨大さが解明され、良好な遺物の検出などもあり、昭和54年に「馬高・三十稲場遺跡」として国指定史跡となりました。また、中村孝三郎により再復元された「火焔土器」はその他の遺物とともに平成2年に国重要文化財に指定されました。
長岡市立科学博物館
〒940-2035
新潟県長岡市関原町1-3060-1
TEL:0258-46-0601
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