八ヶ岳の麓に点在する縄文文化と遺跡群

2012年08月01日

神戸縄文土器クラブです。
普段縄文土器を復元制作するに当たり、参考にする文献や資料は様々なのです。
図書館で調べたり、気になる縄文土器に関連する新刊が発売になったら購入するなどして「次回作」を検討し、復元制作に入っています。
八ヶ岳の麓に点在する縄文文化と遺跡群
今回参考にしたのが上記写真集、「縄文に触る」という書物です。

あの世界的なデザイナー故岡本太郎氏が撮った写真も掲載されている大変興味深い写真集でした。この中でも特に「八ヶ岳山麓に点在する遺跡群」について深く感銘を受け、次回作はこの遺跡群に関連する縄文土器を制作しようと決めました。

今日は「八ヶ岳山麓に点在する遺跡群」にスポットを当ててご紹介します。

【そもそも八ヶ岳とは…】 
長野県と山梨県の県境に南北に約30キロにわたり峰を連ねる八ヶ岳。山中は北から蓼科山、夏沢峠を境に、それより北を北八ヶ岳、南を南八ヶ岳の3つのエリアに分けられ、それぞれ異なる顔を持っています。北八ヶ岳は深い針葉樹の森に神秘的な湖が点在し、南八ヶ岳は赤岳を代表する荒々しい岩稜の峰が連なっています。また、同じエリアでも山々の個性が異なるのも特徴です。※八ヶ岳観光協会HPより
八ヶ岳の麓に点在する縄文文化と遺跡群
そんな八ヶ岳南西麓の茅野、富士見、大泉にかけてたくさんの遺跡があります。昔はこのあたりまで海だったそうで小海線の名前はその名残です。この遺跡を御紹介していきます。

①【金生遺跡】
 山梨県北杜市(旧北巨摩郡大泉村谷戸寺金生)にある遺跡。国指定の史跡。
1980年、圃場整備に伴い山梨県教育委員会による発掘調査が行われ、38棟の住居址、5基の配石遺構が確認されています。住居址は縄文後晩期が中心で、竪穴式住居や敷石住居、石組住居など。石組は方形や円形で立石、石棒、丸石などが配置された形態で、石棺状遺構からは焼けた人骨片や耳飾などの装身具も出土しており、墓前祭祀行為が行われていたとも考えられています。

②【井戸尻遺跡】
 長野県諏訪郡富士見町にある遺跡で縄文時代中期を中心とする集落遺跡。前回のブログでご紹介した「井戸尻考古学館」がここにあります。八ヶ岳南麓に位置する遺跡群は、早期や前期にかけては少ないが、縄文中期中葉を中心とし、立場川から東へ二つ目の母沢から東の鹿ノ沢周辺に、井戸尻・曽利・藤内・九兵衛尾根・居平・唐渡宮・向原などの遺跡が集中し、「井戸尻遺跡群」を形成しています。中期中葉の最盛期の土器は、土器形式で藤内式や井戸尻式と呼ばれています。巨大な深鉢は豪快で抽象的な土器文様が描かれ、なかには動物や人の頭をかたどったとみられる文様もあり、住居跡から12個の完形の土器が出土。器種は11個までが鉢形で、そのうちの9個が深鉢。これらは煮沸用とされ、特殊な大深鉢は貯蔵用であると考えられている。

③【阿久遺跡】(あきゅういせき)
 長野県諏訪郡原村に所在する縄文時代の遺跡であり、現在のところ最古級の環状集石が構築されており、配石遺構とも呼ばれています。縄文時代前期を通じて長野県八ヶ岳西麓の阿久川と大串川に挟まれた標高904メートルの丘陵上に拡がる大遺跡。中央自動車道西宮線の工事に伴い発掘調査がなされ、遺跡を破壊して中央道を建設するか保存かが問題となりました。その後中央道の設計変更がなされ、中央道の下に埋没保存という形になり、昭和54年7月2日国の史跡に指定されています。この環状集石群の規模は長径120メートル、短径90メートル、幅30メートルで、約20万個のこぶし大から人頭大の河原石をドーナッツ状に配した「環状集石群(ストーン・サークル)」と呼ばれます。

④【尖石・与助尾根遺跡】(とがりいし・よすけおねいせき)
 長野県茅野市豊平南大塩にある縄文時代中期の集落遺跡。南側の尖石遺跡は戦前から発掘されてきた縄文時代を代表する遺跡の1つとして知られているが、現在では同遺跡と浅い沢1つ隔てた北側の台地上にある与助尾根遺跡と一括して扱われることが多く、「尖石」の名称は遺跡の南側にあった三角錐状の巨石の通称に由来しています。茅野市の縄文考古館には国宝「縄文のビーナス」や重文「仮面の女神」が展示されています。地元の考古学者宮坂英弌(ふさかず)によって1929年に石囲炉跡が発掘された。その後、宮坂は引き続き独力で1940年から本格的な発掘が開始され、1954年まで続けられた。また、1946年には与助尾根の発掘にも取り掛かった。与助尾根は1935年に現地を開墾中に発見されたものだった。

⑤【大深山遺跡】(おおみやまいせき)
長野県南佐久郡川上村大字大深山にある縄文時代中期の集落跡。1966年に国の史跡に指定されました。天狗山の南麓、赤顔山(あかづらやま)の東南麓、千曲川右岸の南向きの標高1300mを越える平坦地に位置している。八ヶ岳山麓一帯に数多く分布する縄文遺跡の中でも最高度を誇り、日本各地の縄文遺跡中最も標高の高い遺跡の一つとされる。
大深山観光協会や村教育委員会の手で発掘調査が行われ、積石遺構、数万点に及ぶ土器、石器が出土しており、住居跡には2棟の住居が復元されている。完全な形で出土した人面香炉型土器(通称『ウルトラマン』)などの出土品は、川上村文化センターに保存展示されている。

⑥【栃原岩陰遺跡】(とちばらいわかげいせき)
 長野県南佐久郡北相木村で1965年に発見された縄文時代早期の岩陰遺跡である。所在地は北相木村字東栃原上ノ段。1987年に国の史跡に指定されました。栃原岩陰遺跡は、10体以上の縄文時代早期の人骨が出土したことで知られ、土器、石器、骨器、食料にしたと思われる多数の動物(絶滅したニホンオオカミを含む哺乳類、爬虫類、淡水性の魚介類など)の骨なども出土しており、縄文時代早期の衣食住の研究に非常に多くの資料を提供している。遺物中、骨製の釣り針、縫い針の精巧さは類を見ず、当時の人々の技術水準の高さを物語っている。これらの遺物の多くは出土人骨から復元された「相木人」の頭部復元模型などとともに北相木村考古博物館に展示されています。
(※参考:Wikipedia)





同じカテゴリー(縄文時代 の人と土器)の記事画像
縄文土器研究ご報告!
【速報!】富山で新しい縄文土器!
関東地方の中期から晩期の土器型式
土偶の歴史
縄文人を取り巻く生活と気候の変化
縄文人のグルメ感② 調味料
同じカテゴリー(縄文時代 の人と土器)の記事
 縄文土器研究ご報告! (2012-11-23 20:45)
 【速報!】富山で新しい縄文土器! (2012-11-14 21:11)
 関東地方の中期から晩期の土器型式 (2012-11-07 21:17)
 土偶の歴史 (2012-07-11 20:16)
 縄文人を取り巻く生活と気候の変化 (2012-07-04 20:29)
 縄文人のグルメ感② 調味料 (2012-06-20 20:05)

Posted by 神戸縄文土器クラブ at 19:33│Comments(0)縄文時代 の人と土器
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。