水煙土器三姉妹完成!!
2013年05月17日
神戸縄文土器クラブです。
表題のとおり、いよいよ「水煙土器三姉妹」が完成しました!
何を持って「三姉妹」なのかと疑問をお持ちの諸兄もいらっしゃると思います。
「三姉妹」というネーミングは勝手に決めましたが、水煙土器シリーズの中で私が特に気に入った
3つを選び制作したというのがその理由です。
1つ目(長女)→「阿玉台Ⅲ式」土器
2つ目(次女)→「阿玉台Ⅳ式」土器
3つ目(末っ子)→「阿玉台式」土器

これで「三姉妹」が勢ぞろいした事になります。
水煙土器シリーズはこれでしばらくストップです。
水煙文様三姉妹はいずれも阿玉台式と呼ばれる土器の種類ですが、
これに非常によく似た「加曾利E式」土器と言う分類の土器もあります。
(※鹿嶋市HPより)
この土器が出土したのは「厨台遺跡群」という茨城県にある遺跡から発掘されました。
【厨台遺跡】(くりやだいいせき)(茨城県鹿嶋市)

北浦から入り込む谷に面した台地(鹿島神宮駅の北側)に展開する縄文時代から近世まで続く複合遺跡で、谷をはさんだ南に存在する鹿島神宮との関係が重要な遺跡です。現在は51号バイパスが開通し、区画整理が行われ変わってしまいましたが、かつては緑豊かな台地がひろがっていました。
縄文時代中期の集落の跡は台地の南側や縁辺部に集中して見つかっています。集落は竪穴住居跡や袋状土坑、掘立柱建物跡などが何度も同じ場所に造られたため、夥しい数の遺構が重複した状態でありました。それらの住居跡や土坑から出土した縄文土器や石器などは膨大な点数を数えます。厨台に人が住んでいた痕跡で最も旧いものは円龍台地区の縄文時代早期の集石遺構や、谷の最も奥の台地に広がる縄文時代早期の集落である常陸伏見遺跡です。 弥生時代は円龍台地区から少量の土器片が見つかっていますが、集落跡としての遺構はまだ見つかっていません。
古墳時代以降もさかんに集落が形成され、奈良時代・平安時代の集落からは「鹿嶋郷長」や「方野村」「中臣宅成」「神厨」「山前」などの墨書土器や「申田・左右」の線刻のされた紡錘車(ぼうすいしゃ)など出土しており、鹿島神宮や鹿島郡衙(ぐんが)の存在が大きく影響していると思われます。 中世(鎌倉・室町時代)から近世(江戸時代)にかけては集落や墓域が形成されていました。
このように、発掘調査によって厨台遺跡群は縄文時代から現代まで長い間土地が盛んに利用されてきたことがわかりました。
問合せ先
(財団法人)鹿嶋市文化スポーツ振興事業団
〒314-0021 茨城県鹿嶋市粟生字十二神2242-1
TEL 0299-84-0778
FAX 0299-84-0799
E-mail kmb@sopia.or.jp
表題のとおり、いよいよ「水煙土器三姉妹」が完成しました!
何を持って「三姉妹」なのかと疑問をお持ちの諸兄もいらっしゃると思います。
「三姉妹」というネーミングは勝手に決めましたが、水煙土器シリーズの中で私が特に気に入った
3つを選び制作したというのがその理由です。
1つ目(長女)→「阿玉台Ⅲ式」土器
2つ目(次女)→「阿玉台Ⅳ式」土器
3つ目(末っ子)→「阿玉台式」土器

これで「三姉妹」が勢ぞろいした事になります。
水煙土器シリーズはこれでしばらくストップです。
水煙文様三姉妹はいずれも阿玉台式と呼ばれる土器の種類ですが、
これに非常によく似た「加曾利E式」土器と言う分類の土器もあります。

この土器が出土したのは「厨台遺跡群」という茨城県にある遺跡から発掘されました。
【厨台遺跡】(くりやだいいせき)(茨城県鹿嶋市)

北浦から入り込む谷に面した台地(鹿島神宮駅の北側)に展開する縄文時代から近世まで続く複合遺跡で、谷をはさんだ南に存在する鹿島神宮との関係が重要な遺跡です。現在は51号バイパスが開通し、区画整理が行われ変わってしまいましたが、かつては緑豊かな台地がひろがっていました。
縄文時代中期の集落の跡は台地の南側や縁辺部に集中して見つかっています。集落は竪穴住居跡や袋状土坑、掘立柱建物跡などが何度も同じ場所に造られたため、夥しい数の遺構が重複した状態でありました。それらの住居跡や土坑から出土した縄文土器や石器などは膨大な点数を数えます。厨台に人が住んでいた痕跡で最も旧いものは円龍台地区の縄文時代早期の集石遺構や、谷の最も奥の台地に広がる縄文時代早期の集落である常陸伏見遺跡です。 弥生時代は円龍台地区から少量の土器片が見つかっていますが、集落跡としての遺構はまだ見つかっていません。
古墳時代以降もさかんに集落が形成され、奈良時代・平安時代の集落からは「鹿嶋郷長」や「方野村」「中臣宅成」「神厨」「山前」などの墨書土器や「申田・左右」の線刻のされた紡錘車(ぼうすいしゃ)など出土しており、鹿島神宮や鹿島郡衙(ぐんが)の存在が大きく影響していると思われます。 中世(鎌倉・室町時代)から近世(江戸時代)にかけては集落や墓域が形成されていました。
このように、発掘調査によって厨台遺跡群は縄文時代から現代まで長い間土地が盛んに利用されてきたことがわかりました。
問合せ先
(財団法人)鹿嶋市文化スポーツ振興事業団
〒314-0021 茨城県鹿嶋市粟生字十二神2242-1
TEL 0299-84-0778
FAX 0299-84-0799
E-mail kmb@sopia.or.jp
Posted by 神戸縄文土器クラブ at 20:00│Comments(0)
│制作中土器
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。