おすすめ古代遺跡のご紹介その③
2012年10月17日
神戸縄文土器クラブです。
また、ブログで御報告しますが現在新作復元土器を目下制作中です。
研究の方が疎かにならない様に、今週もおススメの縄文土器遺跡を御紹介します。
【上野原遺跡】(鹿児島県霧島市)

上野原遺跡は,南に鹿児島湾や桜島,北に霧島連山を望む,鹿児島県霧島市東部の標高約250mの台地上にあります。約9,500年前には定住したムラがつくられ,また約7,500年前には儀式を行う場として,森の恵みを受け,縄文時代の早い段階から多彩な文化が開花し,個性豊かな縄文文化がきずかれました。約3,500年前にはおとし穴をつくり,狩り場となり,約2,500年前~約2,000年前,約1,600年前~800年前にかけては,再び台地上に人々が住みムラをきずきました。また,第2次世界大戦中には軍事施設もつくられ,戦後は畑として広く利用されていたことがわかりました。
■定住化初期の大集落
上野原台地の北側には,2条の道筋に沿った52軒の竪穴住居群を中心に,39基の集石や16基の連穴土坑などの調理施設をもった集落(ムラ)が発見されました。南九州地域における定住化初期の様子を知る大集落といえます。
なお,これらの住居の中には住居が重なり合っていることや,埋まり方に違いがみられることから,建てられた時期に差があり,ムラは長期間にわたって営まれていたことがわかりました。

■まつり・儀式の場
台地南側の最も高い所にはひとつの穴に丸と四角の口をもつ2個の壺型土器が完全な形で埋めてありました。また,その周りには壺型土器や鉢形土器を埋めた11か所の土器埋納遺構と石斧を数本まとめて埋めた石斧埋納遺構が見つかり,さらに,これらを取り囲むように,日常使用した多くの石器や割られた土器などが,置かれた状態で出土しました。この場所は,まつりなどの儀式が行われた場と考えられています。
■約6.000年前(縄文時代前期)■
この時期の住居跡は発見されてはいませんが,台地の南側ではおとし穴と集石遺構がみつかり,一時的な狩り場や調理の場となりました。
■約3.500年前(縄文時代後期)■
台地南側の斜面に近い場所からは,深さ2mから3mのおとし穴が長さ約400m,東西方向に2列ならんでみつかり集団で動物を追い込む狩り場となりました。
■約2.500年前(縄文時代晩期)■
台地の北側がおもな生活の場で,竪穴住居跡や掘立柱建物跡などが発見されました。建物の周辺にはドングリなどが入った「貯蔵穴」があり,森からの恵みを受けていました。
(※上野原縄文の森HPより)
《鹿児島県上野原縄文の森》
〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森1番1号
TEL:0995-48-5701 FAX:0995-48-5704
また、ブログで御報告しますが現在新作復元土器を目下制作中です。
研究の方が疎かにならない様に、今週もおススメの縄文土器遺跡を御紹介します。
【上野原遺跡】(鹿児島県霧島市)

上野原遺跡は,南に鹿児島湾や桜島,北に霧島連山を望む,鹿児島県霧島市東部の標高約250mの台地上にあります。約9,500年前には定住したムラがつくられ,また約7,500年前には儀式を行う場として,森の恵みを受け,縄文時代の早い段階から多彩な文化が開花し,個性豊かな縄文文化がきずかれました。約3,500年前にはおとし穴をつくり,狩り場となり,約2,500年前~約2,000年前,約1,600年前~800年前にかけては,再び台地上に人々が住みムラをきずきました。また,第2次世界大戦中には軍事施設もつくられ,戦後は畑として広く利用されていたことがわかりました。
■定住化初期の大集落
上野原台地の北側には,2条の道筋に沿った52軒の竪穴住居群を中心に,39基の集石や16基の連穴土坑などの調理施設をもった集落(ムラ)が発見されました。南九州地域における定住化初期の様子を知る大集落といえます。
なお,これらの住居の中には住居が重なり合っていることや,埋まり方に違いがみられることから,建てられた時期に差があり,ムラは長期間にわたって営まれていたことがわかりました。

■まつり・儀式の場
台地南側の最も高い所にはひとつの穴に丸と四角の口をもつ2個の壺型土器が完全な形で埋めてありました。また,その周りには壺型土器や鉢形土器を埋めた11か所の土器埋納遺構と石斧を数本まとめて埋めた石斧埋納遺構が見つかり,さらに,これらを取り囲むように,日常使用した多くの石器や割られた土器などが,置かれた状態で出土しました。この場所は,まつりなどの儀式が行われた場と考えられています。
■約6.000年前(縄文時代前期)■
この時期の住居跡は発見されてはいませんが,台地の南側ではおとし穴と集石遺構がみつかり,一時的な狩り場や調理の場となりました。
■約3.500年前(縄文時代後期)■
台地南側の斜面に近い場所からは,深さ2mから3mのおとし穴が長さ約400m,東西方向に2列ならんでみつかり集団で動物を追い込む狩り場となりました。
■約2.500年前(縄文時代晩期)■
台地の北側がおもな生活の場で,竪穴住居跡や掘立柱建物跡などが発見されました。建物の周辺にはドングリなどが入った「貯蔵穴」があり,森からの恵みを受けていました。
(※上野原縄文の森HPより)
《鹿児島県上野原縄文の森》
〒899-4318 霧島市国分上野原縄文の森1番1号
TEL:0995-48-5701 FAX:0995-48-5704
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